2005年4月27日

尼崎市の電車事故は実に悲惨であります。列車の車体が、まるで空気を抜いた紙風船のようにぺちゃんこになって、マンションの壁に張り付いているのは、実に異様な感じがします。中にいた人々はひとたまりもなかったのではないでしょうか。遺族の方、お怪我をされた方に心からお見舞い申し上げます。

私がNHKの神戸支局に勤務していた頃によく取材に行った「尼崎」の地名が、ドイツの新聞にローマ字で載っているのを見て、なにか場違いな感じに襲われました。朝日、毎日、読売、産経などの新聞は阪神支局を置いていましたが、NHKは阪神支局がなく、私は阪神地方の警察担当の頃、西宮の香枦園の自宅から、警察署に通っておりました。神戸と大阪にはさまれた阪神間地方は、100万人の人口を抱えていますが、全国版ニュースになるような事件事故が多い場所です。グリコ森永事件しかり、朝日新聞阪神支局襲撃事件しかり。

尼崎は大きな市なので、尼崎中央警察署、尼崎東警察署、尼崎北警察署、尼崎西警察署の4つの署があり、どこも思い出があります。それにしても、尼崎中央警察署がある阪神電車尼崎駅付近は、神戸から来るとやはり物悲しい雰囲気で、ドイツでいえばルール工業地帯のエッセンの駅に似ています。

車谷長吉氏の名作「赤目四十八瀧心中未遂」は、尼崎の出屋敷が舞台ですが、私が知る「あま」の雰囲気を見事に描いていて、うならされました。

NHk神戸支局の泊まり勤務の時、深夜の火災でフィルムカメラを持って、タクシーで尼崎の火事現場に何回か出動したことを思い出しました。1982年ごろはビデオだけでなく、フィルムカメラも使っていたのですが、私はニュース用のフィルムを撮るのが結構好きで、よくローカルニュースに使ってもらいました。殺人事件取材の映像が全国ニュースで流れたこともあります。

ニュースフィルムはビデオと違って伝送できないので、現像した後、託送便で阪神電車に乗せて、電車でNHKの大阪放送局まで運んだものです。電子映像時代の今日では考えられないような、のんびりした時代でございました。

若い事件記者の方々は、今ごろ尼崎で忙しい日々を過ごしておられることでしょう。ご健闘をお祈り申し上げます。